川田龍平プロフィール

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1976年 東京都小平市生まれ。東京経済大学卒。
血友病治療のために投薬された輸入血液製剤によりエイズウィルスに感染
1993年 薬害エイズ訴訟原告

1995年3月(19歳)
社会の差別や偏見を乗り越え、国と闘う

東京薬害HIV訴訟原告団として活動の傍ら、未成年者として初の日本人HIV感染者として実名を公表。

1995年7月
「人間の鎖」の先頭に立ち厚生省を囲む

いのちを軽視する国への批判に多くの人の関心が集まり、約3500人とともに厚生省を取り囲みアピール。

1996年2月(20歳)
厚生大臣が公式謝罪

日々大きくなる声は国を動かし、菅直人厚生大臣がHIV訴訟の原告や弁護団に対し国の責任を認め謝罪。

1996年3月
東京HIV訴訟で勝利を勝ち取る

厚生省に損害賠償を求める薬害HIV訴訟の和解成立、厚生省の加害責任は否定されるも原告が実質勝訴。

2007年2月(31歳)
世界の中で社会を動かす若いリーダーの一人に選ばれる

裁判後も続けた人権にまつわる活動が認められ、世界経済フォーラム・ヤンググローバルリーダーズに選出。

2007年7月
市川房枝さん以来42年ぶり、無所属当選を果たす

「動けば変わる」をスローガンに、第21回参議院選挙に東京選挙区から無所属で出馬、683,629票を得て当選。

2007年10月
環境委員に就任、初質問で原発の危険を指摘

水銀、アスベスト、放射能などの環境被害問題に取り組む。環境委員会初質疑で地震による原発事故や放射能の危険を指摘。

2009年12月(33歳)
脱官僚に共感し「みんなの党」に入党
念願の厚生労働委員就任

より実りある政治活動のためにみんなの党に入党。薬害をなくす議員立法を提出するための一歩を踏みだす。

2010年8月(34歳)
予算委員会で菅直人総理と国会初対決

かつての厚生大臣と原告が総理大臣と議員という立場で国会の議場に。薬害根絶へのリーダーシップを求める。

2011年5月(35歳)
国連議場でHIV/AIDSへの取り組み強化をアピール

列国議会同盟(IPU)のアドバイザーに就任。世界の国会議員に向けてHIV/AIDS問題への政策を提言。

2012年6月(36歳)
「子ども・被災者支援法」を成立させる

薬害HIV訴訟の経験を踏まえ、放射能による病気か裁判で争わなくても補償される被害者の立場に立った画期的な法律。

2013年2月(37歳)
各党議員に訴え“いのちを守る活動”を推進する

子ども・被災者支援議連を設立し事務局長に就任。さらにライフワークの薬害再発防止に向けた議連も設立。


主な著書に「医療格差」「誰も書けなかった国会議員の話」など。


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